ワーキングハハ

ほぼほぼ育児の話、時々仕事の話

『蜜蜂と遠雷』を読んで

久しぶりに小説を読みました。恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』という作品です。

 

手に取った(Kindleで読んだので正確には違うけど)のは、みどりの小野さんのレビューを読んで面白そうだと思ったのがきっかけでした。

 

生涯で小説を読んだのは多分両手に収まるか収まらないかぐらいの非読書家である私。

本当に小説は何度読もうと思っても途中で挫折しちゃうんですよね。

それぐらい普段読まないのに、この小説はずっとページをめくりたくなる衝動を抑えるので精一杯でした。

 

以下、ネタバレにならない程度に自分のちっぽけな体験談を織り交ぜながら感想を。

読んだ後にまず思ったのが「あぁ、音楽ってやっぱりステキだわ。またやりたい。」でした。

(ただ、それがどんなにアマチュアであろうと、やり続けるには途方もない労力が必要なんですけどね。)

幼稚園~小学生でピアノ、中学で合唱、高校で吹奏楽、大学でオーケストラと、いろんな音楽をちょこちょこ囓ってきた程度なので、作品に出てくるようなコンクールに縁はありません。

ですが、読みながら自分の知っているホールの雰囲気を重ね合わせて想像するのが本当に楽しくてたまりませんでした。

舞台袖の緊張感、大好きなんですよね。

なので、演奏の色彩の豊かさももちろん楽しく読めたんですが、舞台袖のやりとりの部分が一番楽しめたかもしれません。

 

自分でもビックリしたのが、登場人物の高島明石にものすごく肩入れした読んだことですかね。

あと5年若ければ3人の天才のうちの誰かに強烈に憧れながら読んでいたはず。

生活者としての演奏家。勤め人をしながらも再び憧れの境地にたどり着けた彼をずっと応援しながら読んでいました。フィクションなんですけどね。

 

この小説の趣旨から少し外れた感想になりそうですが、音楽を「聴かせる意識を持つこと」って、意外と難しいということに気づきました。

というか、音楽をやっていた頃、そういう意識がほとんどなかったことに気づかされました。

巧く吹けるようになりたい、弾けるようになりたい、自分(あるいは仲間)の中で意識が完結していた気がします。

外への意識と内面への意識、両方のバランスを取ることって大事で難しい。そう思いました。

まぁ、プロの卵と素人ですからそもそも比較するのもどうかと思うんですが。

 

ピアノは小学生の時に辞めてしまいましたが、今も全く興味がないわけではなく、ラファウ・ブレハッチというポーランドのピアニストが好きで、東京オペラシティへ彼のリサイタルを観に行ったこともあります。

彼の名が知れたのは、この小説の舞台となっている芳ヶ江国際ピアノコンクールのおそらくモデルであろう浜松国際コンクールです。

彼の家にはグランドピアノはなくアップライトピアノしかなかった、とか、キャリアがなかったため浜松国際コンクールの書類審査で落とされた、というエピソードがあります。

この小説には上記のブレハッチのエピソード的な要素が所々散見されるんですよね。

自分の好きなピアニストとある程度重ね合わせながら読めたのも面白かった要因の一つだと思います。

そしてこの小説に出会えてよかったと心から感謝していますし、ひょっとしたら奇跡の巡り合わせだったのかもしれません。

みどりの小野さん、ありがとうございました。

 

非読書家の私ですが、またこんな心を揺さぶられる作品に会えたらいいなと思いました。

あとは、子育てが落ち着いたらママさんブラスやりたいと強く思うようになったんですが、そのためには楽器を買わないといけません。

高いんですよね、チューバって(苦笑)。